借金は悪ではないらしい

それを見ていて「あの子供は『借金』という概念を、この母親の姿を通して学ぶことができるんだなあ」と思ってしまった。おそらく、母親のこの経験は、「我が家の歴史」の根幹としてこれから繰り返し語られていくのだろう。そして、「借金」という言葉にものすごくポジティブな感情を深いレベルで持つようになるのだろう。

この子供が大きくなって、「お母さん、ボクは今度ネットの会社を作るんだよ。融資してくれる人を見つけたんだ」と母親に報告する場面を想像してしまった。

その時に、この母親は、彼女の息子が人生をかけようとしている事業の内容は理解できないかもしれない。だけど、起業ということの本質は理解しているだろう。お金を借りて、それを回転させて大きくして返す。残ったお金が、自分の生活の基盤となり、未来への投資となり、そして何より自分の自信となる


私の親は、お金について教育するという考えはあまりなかったようだけど、漫画や小説、人から聞いた話では親から「借金だけは絶対にするな」と言われたなんて話はなんか聞いたことがありそうな話です。
まあ、だいたい「借金がいいものですか、わるいですか。」と問われれば、わるいものだと答える人が多いだろうなと思います。


けど、ここ数年私の周りで聞く話には、借金はわるいものではないという考えが含まれることもちらほらと出てきました。
そして、それは「これこそが真実」だと、「借金だけは絶対にするな」を覆す真実であると、絶対の自信を持って語られます。


上記引用は、NGO BRACによるバングラディシュのダッカでの貧困層へのマイクロクレジット(連帯責任を課す少額融資)によって、とても小さいとはいえ事業を行い、生活を立て直す母親の話です。これも、「借金が悪」ではない一つの例です。


他に私が出会った「借金が悪」ではない話は、アメリカでのクレジットカード・借金の話があります。こんな話です。
アメリカでは(日本以外ではと言う人もいる)クレジットカードを作るためにはクレジットヒストリーが大切で、クレジットヒストリーとは借金をしてきちんと返したという履歴の積み重ねである。きちんとしたクレジットヒストリーは、きちんとした人として当然のステータスであり、きちんとしたクレジットヒストリーがない人は、社会的に一人前とは言えない。また、クレジットヒストリーによってどれだけお金を借りられるかが決まり、その金額の大きさはその人の信用の大きさを表すものに他ならない。
いくら金を借りられるかということを含めて、その人の価値である、そんな話でした。


また、今日たまたま読んでいたΩ決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (朝日新書 44)と言う本はこう書いてありました。

会社の基本的な活動は、「お金を集めて」、「何かに投資し」、「利益を上げる」の三つに分かれます。

会社と個人(家計)とを一緒に考えるのはなにかまずいのかもしれませんが、「お金を集めて」というのの一部は借金なわけで、それがないとこの世の中は回っていかないのです。


20代も半ばを過ぎて、いまさらこんなことに納得しているのはきっと遅すぎるんでしょうが、「借金だけは絶対にするな」というのは必ずしも正しくないということは、誤解の無いよう気をつけながら、自分の子どもには教えていきたいなと思います。